こんにちは。雅也です。
人生を例えるならなんでしょうか?
迷路?旅路?映画?
どのような表現であったとしても
私たちは多くの場合、人生迷っています。
落ち込む必要はない
どんなに仕事ができるように見えても、
どんなにスポーツ万能に見えても、
どんなに幸せそうに見えても、
人には必ず、悩み、迷い、戸惑い、後悔があります。
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「どうして私って・・・」と落ち込む必要はありません。
みんなあなたと同じようなことがあるのです。
例えば
「私は仕事で迷惑をかけている・・・」と感じても、
みんな同じように考えています。
今の社会システムでは、20歳になったら大人であったり、
「〇〇歳だったら、これくらいできるでしょう」という年齢基準でできています。
ですから、周りと比べられて自分が劣っていると感じることもあるでしょう。
しかし、落ち込む必要はないのです。
なぜなら、人生が道であるならば、
みんなで同じ道を歩いているわけではありません。
あなただけの道を、あなたのペースで歩いているのです。
だから、ちょっと先を行く人が「お前遅いな」と言ってきても気にしないでください。
その人も、迷路に迷い込むことがあるのです。
答えを探し出す旅ではない
では、人生迷ったり悩んだりして、一見無駄に思えるような時を過ごしたり
「悩みは無駄だ」とか、「もっと早くしろ」といわれて辛い場合はどうすればいいのでしょうか。
これも今の社会システムの特徴です。
とにかく「答え」を出さなければならないのです。
やる・やらない
いく・いかない
食べる・食べない
寝る・寝ない
人生の目標、夢、結婚、幸せ、なんでも
答えを出すことを良しとし、
それを出せない人を低く評価する傾向にあります。
しかし、人間の特権とはなんでしょうか。
昔、アテネで哲学者と青年たちが対話をしていました。
そこに答えは出たのでしょうか。
もちろん、答えが出たこともありますが、多くが出ませんでした。
なぜなら、人生はそんなに簡単なものではないからです。
「夢がない」「目標がない」「やる気がない」「うまくできない」「生きる価値などない」
こういう考えは、人生に付録としてついているのです。
そこで、徹底的に目の前の迷いや悩みと向き合うからこそ次が見えるのです。
それは決して答えを見つける作業ではありません。
なぜなら、「こっちの道が正しい!」と思って進んでも、その答えが正しいとは限りません。
人生は結局、最後の瞬間まで自分の選択が正しかったかわからないのです。
人生は答えを探す旅ではありません。
新幹線に乗って、大阪から東京までを移動するような旅ではありません。
自分の足で歩きながら、その土地の名物を食べたり、観賞したり、寄り道をして
「何のために、どこに行くために、自分は歩いているのだろうか」と考えて数日過ごす。
「考えても仕方がないから進もう」という人もいれば、
「もう少し考えて、きっかけをつかんだら進もう」という人もいていいのです。
私たちは、誰かと生き急ぐ競争をしているわけではありません。
人それぞれのペースで、好きなところに寄り道しながら進めばいいのです。
少し道を外れたくらい、少し遅れたくらいで命を捨てようなどと思ってはいけません。
答えが出ないからと言って、自分を責めてダメな人だと決めつけてはいけません。
生きることに大いなる意味があるのです。
それは、あなたが実感できるかどうかは関係ありません。
きっと、生きる意味を見出して生きている人の方が圧倒的に少ないのです。
意味や答えを探し出すために生きているのではないのです。
生きていたら、その人の生き方に応じて、意味や答えが見つかるのです。
探す必要はありません。
まず、今日という日を他人や世間と比べず生きましょう。
あなたのペースで。
雅也