雅也です。
病気が理由だけれども、自主退職で解雇された日。
現実を見つめる
好き嫌いはあるもの
僕がどんなに良いことを書いても
忘れて欲しくないことがある。
それは、
「誰にでも好き嫌いはある」ということ。
「いじめをなくそう」と言っても
「好きな人、嫌いな人」はいる。
僕もいる。
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僕なんか、
人付き合いが下手だから、
友達と呼べる友達も
片手では指の方が余るくらい
付き合いが下手。
だから、苦手な人、嫌いな人が多い。
ただ、
だからと言って
「いじめて良い」ことにはならない。
嫌いなら、離れれば良い。
しかし、いじめが好きな人は
なぜか、いじめの対象に
「嫌い」と良いながら
「近づく」傾向にある。
こういう人からも
離れた方がいい。
いつも同じように
3月11日を通して思うことは
「支援」「助け合い」「絆」は大切だけれど、
災害時は、みんなできる。
それだけ日本人は素晴らしいと思う。
問題は、
何もない今日を
3月11日と同じ気持ちで
他人と接することができているかどうか。
僕もそうだけれど、
何度心を入れ替えても
「邪魔だな」
「もっと考えて運転して欲しい」
「なんで横入りしてくるんだ」
と、思ってしまう。
そう思っても、
3月11日の状態を思い出しては
自分を律していく。
もし、みんなが
あの人同じ気持ちで今日を生きていたら
いじめは少しだけ減るだろうと思う。
少しだけというのは
人間には必ず好き嫌いがあるからだ。
好き嫌いは悪いことではない。
問題は、それを攻撃すること。
にんじんが嫌いだったら
食べなければ良いのに
人間同士だと
わざわざにんじんに近づいて
にんじんを攻撃するという行為が発生する。
悲しいことだ。
僕は人様に指図できるような人間ではない。
ただ、自分で感じていることは
緊急時の絆よりも
何気ない日常での
助け合いではないだろうか。
それには、Facebookもラインもいらないし
返事が遅いから友達じゃないという
無駄な悲しみも不要だ。
今、僕たちにできることは、
震災で同じ悲しみを繰り返さないように
努力していることと同じように、
ただ生きているだけなのに、
人生が辛く苦しく、
真っ暗に生きてきた人たちと
同じ苦しみを広げないことだと思う。
まずは、日本が
平和で幸せな国になることを
心から祈っています。